能登デザイン室 | calendar

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2011年2月21日

えの目の寄り合い、べんざら

私の住んでいる在所、能登島えの目町の寄り合いに在住4年目にして初めて出席してきました。
日曜日の午後4時。

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大家さんに連れ立って在所の集会所に到着し、玄関横の小部屋の襖を開けると、皆さん肩を寄せ合わせて座っていました。私も大家さんにくっついて場所を詰めてもらい座につきました。
正面に座っているのは町会長と役員の方々、会計報告から始まり粛々と会は進んでいきます。 寄り合いに出席しているのは家長の方々、つまり皆さんかなりのご年輩です。多分私が一番若くて(一応家長ですが・・)その次にひとり40手前の方、ほとんどは50から70くらいの年齢層(ほとんど男性、若干の女性)でした。

諸々の報告も一通り終わった折、ひとりの方が田んぼ周辺の維持管理を在所の皆でしてもらいたいという要望をだしました。それまでの議論では、昨今では田んぼをする家も減り、どうやら今年度から土地を維持するための補助金もでなくなり、それぞれの家が土地を完全に自分達の負担で維持していかなくてはいけない状況になりそうだという主旨のようでした。
それに対して皆てんでに意見を言っていきます。皆に対して言っている人もいれば、隣の人とあれこれしゃべる人、ひとしきりがやがやとなり、その都度町会長や他の人がまとめる意見を述べたりもしていました。
結局その場で結論を出すことはせず、また話し合うということになったようです。

そんなやりとりを見ていて、宮本常一が書いていた対馬の伊奈の村の寄り合いの話を思い出した。
伊奈の村ではとりきめを行う場合にはみんなの納得がいくまで何日でも話し合うというもの。2,3日協議が続く時もあり、その間村人は用事があれば家に帰ることもあり、また戻ってきて協議に参加していたという、何とものんびりとした習慣だったそうだ。
そんな例があるところなどをみると、問題に無理矢理決着を着けず、とりあえず先延ばしにするということも日本人の一つの智慧なのかとも思えてきます。

えの目の寄り合いは程なく終わりということになり、この後食事ということになりました。 集会所の奥には広い大広間があるのですが、皆ぞろぞろとそちらに移動して(宴会のために大広間はとってあったんですね。)宴会の始まり。

_ND71974.jpg

こんな感じ。
お酒がまわり皆さんいい顔で食べて飲んで。
食事はえの目の大きな網元さん達の差し入れのお魚。
新鮮な鱈、いか、ナマコ。

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こちらクジラの皮らへん。酢みそで和えて食べると絶品でした。
赤身もありましたが漁師さんにはこちらの方が人気のようでした。

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鱈のみそ汁。
これまたしゅとう(鱈の胃袋)がうまい。

このお汁の碗は「べんざら(皿)」といって、この辺りでは通常魚のお汁を盛りつけるのに使います。 魚が丸ごと入ることの多い漁師さんのお汁にうってつけの形状ですね。

おじさん達のえの目弁に付いていくにはまだまだ修行が足りない感じでしたが・・
なかなか貴重で美味しい経験をさせて頂きました。



忘れられた日本人 (岩波文庫)





2010年8月29日

日本力_(book)


日本力 [単行本]



松岡正剛氏とエバレット・ブラウン氏が日本のことについて語った本。
自分が現在漠然と抱えていた疑問を、解答をもらうのではなくより明確な言葉としての疑問を提示してくれた。

エバレット・ブラウン氏は、幕末の頃に使われた湿板写真という技法で撮影する写真家。 ガラスの湿板を自分で作り、露光時間が数分と撮影に非常に長い時間を要するやり方で撮影をしている。一方、マクロビオティック料理研究家の中島デコさんとともに千葉県のいすみ市にある「ブラウンズフィールド」というところで、田畑を営み、日本人が代々伝承してきた生活の知恵や自然観等を、古代米や発酵食品づくり等の活動を通して次世代に伝えることもしているらしい。

そんな氏によって語られる、日本人がかつて持っていたであろう美意識や価値観への分析には頭が下がる。外国で日本のことを聞かれ何も知らないことに気づかされたあげく、日本のよさに気づいた振りをして日本の田舎に暮らしていた自分がそれで安心していたことに再び気づかされた気分だ。



2010年7月 2日

風景の共有_(book)


建築からみた まち いえ たてもの のシナリオ
[単行本(ソフトカバー)]


建築家、貝島桃代さんの新著を読んだ

その一稿「風景の共有」の中で、
国木田独歩がその著書「武蔵野」に描こうとしたのは、いわゆる日本の伝統的な美しさを認められていた青々とした松林ではなく、雑木林の武蔵野であり。
なぜ独歩が武蔵野に美しさを見いだしたのかと言えば、それは武蔵野がありのままの自然ではなく、人々の暮らしの中にあり、人々の営みや関係性とともに変化し、まさに日本の農村の営みそのものを美しさを体現していたからだと著者は説明している。

著者が訪れた飛騨市種蔵の、棚田と雑木林と集落の点在する美しい風景は、伝統かと思いきや実はめまぐるしく変化している中での現在の姿であるということを知らされて驚いている。

(以下引用 p105)
「入会地では、春になると「山分け」をして、それぞれの家の持ち分を決めたうえで、ヒエ、粟、麦などの雑穀を育てる。四、五年してその穀物の育ちが悪くなると、広葉樹を植え育てる。広葉樹が大きくなるそのあいだ、落ち葉が腐葉土となり、土壌を肥沃にする。二十年ほど経った春、木を伐る。冬になると、雪を利用して、乾燥させた木材をそりに載せ集落まで運ぶ。そしてまた春になると、そこで山分けをするという循環である。こうした循環によって作られる多様性は、連作障害を避け、限られた山の平地を有効に活用するための知恵である。
(引用以上)

このような長い年月をかけた循環の中で育まれてきた風景が、僕が現在住む能登にもかろうじて残されている。それでも他の地域と比べればかなり残されていると言えるのだと思う。かろうじてと言うのは、そんな風景が刻一刻となくなっていく危機感を住み始めて3年という新参者の僕にもうすぼんやりと感じることができるからだ。

現代社会の中で、かつての農村のような社会を再生することは難しいが、残っている風景を持続させることを考え、それを支える社会の持続性を想像することが重要だと著者は説いている。

(以下引用 p108)
もし風景が、雑木林が混ざることによってその多様性と美しさを獲得していたのであれば、その多様性を維持する仕組みが必要である。雑木林が、かつての集落の共有地として、複数の人の手によって維持されていたように、現代における共有の仕組みを考えること、美しい雑木林の背景や方法を理解すること、そして美しい風景をつくったという共有の経験を持つことが必要だと思う。
(引用以上)

この美しい雑木林を意図してつくるということが難しい。

僕が住む集落のおばあちゃん達はとても元気で、毎日田んぼや畑仕事に忙しくしている。朝から晩まで本当に休むことなくいつも働いているのだ。そして今ある能登の美しい風景は紛れも無くそんなおばあちゃん達の日々の営みにより、手入れされることで維持されていると実感する。

果たして十年、二十年後にも僕達は美しい雑木林を見ることができているのだろうか。
元気でいつも働いている近所のおばあちゃん達を見るたびに、こころのどこかで少し不安になる。


と、こんなことを書くつもりではなかったのだ。
何しろこの本は、世界の様々なまち、いえ、たてものを独自の視点で読み解いた異常におもしろい本だったから。
しかし、「メイド・イン・トーキョー 」等で専ら都市へのインパクトのある提案をしている印象の強い著者の、田舎の風景への考察を読むことができたことがとても新鮮に感じて、思うところを書いてしまいました。


2010年5月28日

book_中村好文 普通の住宅、普通の別荘


中村好文 普通の住宅、普通の別荘 (単行本)


中村好文さんの作品集です。
書店で何気なく手にとってみた本が最近でたばかりの新刊でした
真っ白いカバーに活字で打ったタイトルがとても奇麗です。
ブックデザインは山口信博さん+大野あかりさん。
本を素で持ち歩きたくなる手触り、ページをめくるのがもったいなくなるような感触。
書籍の電子化が進んだとしても、これは紙に印刷された本として読みたいと思える、
モノとして出会えてうれしい本でした。

作品集とは言え、好文さんが目指しているのは建築家の「作品」ではなく、「普通でちょうどいい」「普段着の住宅」、好文さんが設計する住宅は住み手との二人三脚的な関係で出来上がってきていると言っています。そこで住み手の人柄や暮らしぶりも垣間見ることのできる本にしようと考え、カメラマンの雨宮秀也さんがすべての写真を住み手の暮らしのあるがままを、ありのままに撮り下ろしているのです。

普通、建築家の作品集は完成直後の写真の中から選び抜かれたカットを構成してつくられています。ところがこの本ではすべての写真が、撮った時点での住宅の住まわれている様子を伝えることを目的として構成されています。
建築家の自邸「久ヶ原のすまい」では好文さん自身の暮らしぶりがスケッチも含めてあますことなく描かれています。
少なくとも僕はいわゆる建築家の作品集が建築家の主義主張を伝えるためではなく暮らしぶりに焦点を当てて作られた本を知りません。

この本を読むと好文さんに設計を頼みたくなること請け合いです。
僕も頼みたい所ですが、自分も一応建築をするものの端くれ、
へたくそながら自分で設計する楽しみはとっておこうと思います。



2010年5月 6日

私の個人主義


私の個人主義 (講談社学術文庫 271) (文庫)


大正3年11月25日、夏目漱石が学習院大学で行った講演会で話した内容と他4つの講演を収録。初めて読んだ漱石の講演集です。
晩年の漱石の根本思想といえる、近代個人主義の考え方も非常に興味深いけれど、
以前茂木健一郎氏が「坊ちゃん」を評して漱石の自己批評性のすごさを解説していたが、それが漱石自身の語り口で読むことができたと思える一冊でした。
大学を出て教師となり、中学、高校、大学と教え英国へ留学する過程の心境を語る言葉に漱石の人間性が伺える。


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